20歳最後の1日(笑)
2004年9月23日今日も…変わらない日々だったなぁ(苦笑)
【祭日は】
今日は秋分の日…とは言っても、残暑が厳しいですね。
祭日にもかかわらず、休みだったのは私だけ(^^;
両親は仕事、弟は文化祭。文化祭を休みの日にする学校も珍しいかも。
午後に祖父から電話があり、一緒に祖母の墓参りに行くことに。もちろん墓参りだけに留まらず、結局は祖父の家に行く羽目になるんですが…(笑)
最初はちょっと腐れ気味のメロンを食べて(ぉぃ
外は固いのに、中心部分だけが何故か…ある意味いわくつきのメロンなんですが、その理由については内緒(謎)
次は秋の味覚である栗。とりあえず茹でて灰汁抜き後、塩を振りかけて再度茹でる…これが正しいのか分かりませんが、食べられるものにはなりましたね(^^;
ただ最初の栗は不味かった…腐ってた!?
【おじさん訪問】
家に帰ってきたら東京のおじさんが来ていました。もうすでに家の点検?を終えていたようで…茶碗を洗いながら色々と話をしているうちに誕生日の話になり、1日早い誕生日を祝って外食をすることに。
近くの飲食店で早めの夕食。気前のいいおじさんで、今日の外食代は全部おじさんが負担してくださり…本当にいつも頭の下がる思いですm(_ _)m(←しかも非常に多忙な方)
明日には東京に戻るそうです。最近は大学で教えていることもあり、頻繁には帰ってこられないようですが…
【20歳になってからの出来事】
・(出水の)祖父他界…
やはりこれかな…。19歳→20歳になる間に祖父が癌であると知らされ手術。一時良くなったかに見えていた…が、実際には良くなったわけではなかった…。12月に再入院、この時には余命1ヶ月…年を越せるかどうかと言われた。
それでも年を越せ、成人式を迎え、暖かな日に約束だった写真を一緒に撮ることが出来た。精神的にも肉体的にも弱々しくなっていた祖父もこの日を楽しみにしてくれ、もの凄く嬉しそうだったと色々な方から話を聞いた。しかし、結局その写真は祖父には見せることが出来なかった…あまりにも変わっていたから…
それから2ヶ月強過ぎた3月25日午前10時過ぎ…享年71歳で亡くなった。結局、臨終には間に合わなかった…もう亡くなってからの電話だった…
どうして亡くなる直前に母と私の名前を呼んだのかなぁ…?どうして…?と考えると今でも涙が出てくる。嬉しくもあり、悔しくもある…複雑な心境だが、再入院してからの方が祖父と過ごした時間は長く、そして濃密な時間だったように思う。
今でも祖父が入院していた病院の前を通り過ぎると、まだここに入院しているだけじゃないか?そして病室を訪ねると笑顔で祖父が迎えてくれるんじゃないかって思う時がある。そんなことはないのだろうけれど…
…まだまだ心の整理が出来ていないらしいです。
毎回書くたびに詰まって書けなくなってしまう…何度でも書いて、忘れずにいたいと思う。
さて、あと数時間で本当の誕生日です(^^
【祭日は】
今日は秋分の日…とは言っても、残暑が厳しいですね。
祭日にもかかわらず、休みだったのは私だけ(^^;
両親は仕事、弟は文化祭。文化祭を休みの日にする学校も珍しいかも。
午後に祖父から電話があり、一緒に祖母の墓参りに行くことに。もちろん墓参りだけに留まらず、結局は祖父の家に行く羽目になるんですが…(笑)
最初はちょっと腐れ気味のメロンを食べて(ぉぃ
外は固いのに、中心部分だけが何故か…ある意味いわくつきのメロンなんですが、その理由については内緒(謎)
次は秋の味覚である栗。とりあえず茹でて灰汁抜き後、塩を振りかけて再度茹でる…これが正しいのか分かりませんが、食べられるものにはなりましたね(^^;
ただ最初の栗は不味かった…腐ってた!?
【おじさん訪問】
家に帰ってきたら東京のおじさんが来ていました。もうすでに家の点検?を終えていたようで…茶碗を洗いながら色々と話をしているうちに誕生日の話になり、1日早い誕生日を祝って外食をすることに。
近くの飲食店で早めの夕食。気前のいいおじさんで、今日の外食代は全部おじさんが負担してくださり…本当にいつも頭の下がる思いですm(_ _)m(←しかも非常に多忙な方)
明日には東京に戻るそうです。最近は大学で教えていることもあり、頻繁には帰ってこられないようですが…
【20歳になってからの出来事】
・(出水の)祖父他界…
やはりこれかな…。19歳→20歳になる間に祖父が癌であると知らされ手術。一時良くなったかに見えていた…が、実際には良くなったわけではなかった…。12月に再入院、この時には余命1ヶ月…年を越せるかどうかと言われた。
それでも年を越せ、成人式を迎え、暖かな日に約束だった写真を一緒に撮ることが出来た。精神的にも肉体的にも弱々しくなっていた祖父もこの日を楽しみにしてくれ、もの凄く嬉しそうだったと色々な方から話を聞いた。しかし、結局その写真は祖父には見せることが出来なかった…あまりにも変わっていたから…
それから2ヶ月強過ぎた3月25日午前10時過ぎ…享年71歳で亡くなった。結局、臨終には間に合わなかった…もう亡くなってからの電話だった…
どうして亡くなる直前に母と私の名前を呼んだのかなぁ…?どうして…?と考えると今でも涙が出てくる。嬉しくもあり、悔しくもある…複雑な心境だが、再入院してからの方が祖父と過ごした時間は長く、そして濃密な時間だったように思う。
今でも祖父が入院していた病院の前を通り過ぎると、まだここに入院しているだけじゃないか?そして病室を訪ねると笑顔で祖父が迎えてくれるんじゃないかって思う時がある。そんなことはないのだろうけれど…
…まだまだ心の整理が出来ていないらしいです。
毎回書くたびに詰まって書けなくなってしまう…何度でも書いて、忘れずにいたいと思う。
さて、あと数時間で本当の誕生日です(^^
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