今日と書いていますが、この日記は2/17に書いたものです。

この日は試験最終日…だと思って疑いませんでした。
そして試験は2科目。
いつも通りに出かけて行って…自然地理学概説の勉強。そして何事もなく試験を受けて11時半に退室。何気なくメールを見る…そして今日の大きな出来事の始まり…
「じいちゃんが危ないらしい。電車で帰るけどどうする?」
と短い文章…焦りました。次の3限も試験予定…でも行かないわけにはいかない。直接、教官のところへ行って許可をもらい猛然と駅へ。この試験の代わりは…分かりません、また研究室を訪ねなければなりませんね。そんなこんなでそれぞれの場所(父:鹿児島市内、自分:鹿児島市内、弟:郡山)から自宅に1時間以内で到着。これもまた奇跡的…
そして自分はレポートの期限も迫っていたのでパソコンだけ抱えて3人で病院に向かう…もちろん母は真っ先に病院に向かいました。
市来を抜けるところで母からの電話。この時、母も病院へは到着していなかったようでしたが、「少し落ち着いたみたい」と電話があり、「ホッ…」
病院へ行ったら、流石に疲れきり…青ざめてはいましたが、意識もしっかりしていたようで。こちらも安堵と疲れが…でも良かった、と。

今日頭によぎったこと…もちろん、このままじちゃんが亡くなってしまうしまうのではないかという不安、試験回避後のこと、レポートの山…このままでは本当に全部放棄?などなど本当に頭の中は混乱…

そんなこんなで夕方の5時を過ぎ…父と弟は先に帰途へ。だったんですが…そこから3回目の急変。今度はじいちゃんが「吐きたい…」と。洗面器を用意して、自分は嫌な予感がしたんです…
そして予感は的中しました…
吐血…だったのです。洗面器一杯に…(涙)
そしてまた部屋から出されて治療が始まり…私は電話をして父を呼び戻す。吐血に下血…そして輸血の繰り返し…先生の話では何処から出血しているのかも分からないし、何処でも出血しておかしくない…もうザル状態なのだと…
IVH(高カロリー栄養食)をする許可の書類には「膵癌末期」…
頭の中で分かっていてもなんだか空転しているんです、自分の中で。
理解しきれていないんです…

結局、IVHをすることは取りやめたそうです。
IVHは食事が摂れないために行う、言わば延命治療の1つ。状態を考慮して…そして看護婦である母の決断がそうしたようです。それをしたからといって、寿命が延びるわけでもないようです。余命は長くて3週間…でも今日の出来事のように何が起こっても不思議ではない…時間との勝負だそうです。
輸血も…これが最後…
もういよいよ…なんでしょうか…
振り返れば、余命は月単位…「年を越せるか、越せないか」をクリアし、「もっても1月には…」も通過した…それだけでも凄いことなのに…
もう頑張れ…の域は大きく超えた…
ここからは1日1日の痛みが軽減されるように…そしてばあちゃんと1日も長くいられますように…出来る事ならば、母や妹がそばにいて見送ることができますように…

母は強い…そして弱い…
看護婦という仕事から誰よりも冷静で誰よりも今の症状を分かっている。それがどれだけ辛いことか…その痛みは計り知れない。
昨日も涙を見せることはなかったのだが…唯一、涙している場面に出くわした。母が脈拍を取るために、じいちゃんの腕に触れながら涙していた…脈が本当に微弱だから?それともこれが最期かもしれないと思ったから?
私にはそこまでしか分かりませんでした。

一方のじいちゃんは苦しい時も多いいけれど…
寝顔はすごく安らかで幸せそう…
本当の膵癌はかなり痛みを伴うらしいけれど、じいちゃんはもちろん多少の痛みはあっても、耐えられないほどの痛みはないらしい。それだけでも幸いなのかも…

どうか最期まで穏やかな日々となりますように…

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